ジャッジする
最近よく聞く言葉です
って、私だけか???(笑)
私たちは常に物事を比べて生きています
あれはいい、これはダメ・・・
これって、この2元性の世界で生きていく上には必須のことかもしれません。
この比べる、という行為があるからこそ、今の社会が成り立っているのでしょう
比べる行為そのものに「良い」「悪い」はないですからね
私の中にもまだまだこの「ジャッジする」という部分はたくさんあります
これは主に親からの刷り込みが多いですよね
そこから発展して、学校の先生や友達、また会社の上司や同僚、取引先etc・・・
ハッキリ言って
ジャッジしまくってます
(((壊゚∀゚)))ァヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
この比べる、ジャッジするという行為・・・
みんな同じ基準だと思いますか
いえいえ
そんなことないですよね
それぞれの家庭にそれぞれのルールがあるように、
この比べる、ジャッジするという行為も個々人で基準は異なります
面白いと思うツボ
憎たらし~と思うツボ
人それぞれですよね
ジャッジする行為も人それぞれの価値観によって起こっています
価値観とは・・・
価値観(かちかん)とは、何が大事で何が大事でないかという判断、ものごとの優先順位づけ、ものごとの重み付けの体系のこと
Wikipediaより
そう
人それぞれに、「ここは大切!絶対に譲れない!」というものが違うんですよね
この絶対に譲れない!というもの・・・
これがジャッジする基準ではなかろうか、と私は思います。
例えば、電車やバスで優先座席ってありますよね。
優先座席には健常者は座るべきでない!と思っている方は絶対に座りません。
ですが、そんなこと思ってない人は普通に座ります。
で、その座っている健常者を見て、
「信じられない!あそこは健常者の座る場所じゃないのに!ありえない!」とイライラするわけですよ。
ここに自分の価値観=信念によるジャッジが入るわけです
優先座席には健常者は座るべきでない
という思いがあるので、健常者が座るとダメ!というわけなんですよね
私たちはこのように、ちょっとしたことでも日々ジャッジを繰り返しています
そのたびにおっきくイライラしたり、ちっちゃくイライラしたり(笑)
イライラを繰り返しているわけですね
そうです
ジャッジするからイライラ~が出てくるんですよ
先ほどの優先座席に関しても・・・
ま、空いてる時は座って、必要な方が来たら譲ればいいじゃない!
と思うぐらいだと、健常者が座っていてもさほど気にならないかもしれません。
優先座席=健常者は座るべきでない!
という価値観を捨てれば、誰が座っていようともまったく気にならないわけです
(これはあくまでも例えのお話ですよ)
このように私たちは自分の価値観=信念体系によって自分自身を律しているわけです
これはこうすべき
これはこうあるべき
そんなことはやっちゃいけない
これはダメ
苦しいですよね~
自分自身で縛り付けているんですから・・・
最近スピリチュアルでいうところの「ジャッジしない」というのは、こういうことなんですよね
もちろん、社会で生きていくにあたって、
自分がされて嫌なことは他人にはしないほうがいいと思いますよ
でも必要以上に「これはこうあるべき!」をやりすぎちゃうと・・・
辛くないですか~
苦しくないですか~
悲しくなっちゃいませんか~
内観するときにこういった自分の価値観に目を向けていくのも一つの方法ですね
ご自分の中にある「こうあるべき!」を少しずつ紐解いていってみてください。
そして「別にこれでもいいよね」と思ってみてください
最初は違和感を感じるかもしれません
だって自分の中の当たり前じゃないのだから・・・
でもその「当たり前じゃない」ということが変化していくにはとても大切なことです
当たり前を当たり前じゃない、にシフトしていく
これが覚醒への早道かもしれませんね
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